2020年の金曲獎、金音創作獎で受賞 台湾で活躍する日本人ギタリスト・大竹研が見てきた台湾の音楽シーンと海外で音楽活動を行なう秘訣

May-28-2021

台湾で活躍する日本人ミュージシャンにギタリスト・大竹研がいる。

2002年から沖縄の唄者・平安隆の伴奏者として本格的に音楽活動をはじめ、その中で台湾の音楽フェスに出演した際に客家フォークシンガーの林生祥と出会ったことをきっかけに台湾でも音楽活動をスタート。現在は台北在住で、バンド生祥樂隊やジャズギタートリオ東京中央線のギタリストの他、ソロでもライブや楽曲制作を行なっている。2020年に開催された台湾のグラミー賞とも言える「第31回金曲獎(Golden Melody Awards)」では、楽曲「Okinawa」で演奏部門の最優秀作曲家賞を受賞。東京中央線としても、「第30回金曲獎」で演奏部門の最優秀アルバム賞を受賞しており、台湾をメインの活動の地にした日本人ミュージシャンとして頭一つ飛び抜けた活動をしてきた。今年2月には、東京中央線として最新アルバム『Fly by Light』、4月にはインド音楽家の若池敏弘とのデュオアルバム『Yü」もリリースするなど、精力的に活動を継続中。

今回2021年6月26日に、台北市・台北小巨蛋で「第32回金曲獎」を控えた中昨年の「金曲獎」の受賞者でもある大竹研にインタビューを敢行。台湾で活動するようになったきっかけ、彼が15年近く見つめてきた台湾の音楽シーンについてなど、細かく話を訊いた


── 今回はインタビューを引き受けてくださりありがとうございます。まず、大竹さんが台湾で活躍するようになったきっかけを教えてください。

大竹:2002年から2005年まで沖縄の唄者の平安隆さんのお抱え伴奏者として、沖縄居酒屋やライブハウスで一緒に演奏していたんです。その一端で、2003年に台湾の音楽フェス「流浪之歌音樂節(2001年から始まる、台湾や世界各国のフォークソングや民族音楽、及び現代の問題にフォーカスした音楽フェス)」に平安さんが呼ばれて、その時に初めて台湾で客家フォークシンガーの林生祥と出会うんです。その後もフェスで彼と顔を合わせることがあったりして、その縁で林生祥の2006年のアルバム『種樹』に参加したんです。当時はノープランだったんですけど、運良くその後ライブを何本か一緒にやることができて台湾と日本を行き来する生活が始まりました。

── ワールドミュージックに出会った場所がたまたま台湾だったんですね。

大竹:「流浪之歌音樂節」も外国人の出入りが多いところなので、僕だけ日本人、外国人だっていうこともなくて。そこで出会ったミュージシャン、例えば中国・内モンゴル自治区出身のUrnaさんが台湾にレコーディングで来たら参加させてもらうきっかけにもなりました。「流浪之歌音樂節」主催の音楽レーベル「Trees Music & Art」の女社長は仕事のできる上に、平安さんみたいな芯のあるルーツをちゃんと持ってる音楽が好きな方で。その社長が「あの若い日本人、ちゃんとギター弾いてるじゃん」って僕を見てくれたのが幸運だったんですよね。その社長は、自分の審美眼と、若手をちゃんと育てていく意識、お金のやり取りなど現実的なところも進めて、台湾に呼んでちゃんと文化的なことをしてもらって、お金をもらって日本に返してあげるまで私はできますよっていう人で。台湾のおしゃれな小さいカフェとかを見ていても思うんですが、自分たちのできる範囲内でいいことをやる意識とか自分の審美眼が同居している。こういうものを持っていていい社会だからこそ、そういう人材が出てきたのかなっていう気はしますね。

── 林生祥と一緒に活動するようになり、昨年は客家語シンガーの米莎のアルバム『戇仔船』の制作に関わられたようですが、そういう繋がりはどういう風に広がっていったんでしょうか?

大竹:2006年から、基本的に僕と林生祥の二人だけでアルバム制作やライブもやっていたんですけど、2009年に自分のソロアルバムを録音した時に、東京中央線のベーシスト・早川徹くんにも台湾でのレコーディングに参加してもらったんですね。この時に生祥が彼をとても気に入って、まず早川くんがベースで入って、その後に林生祥がアルバム『我庄』を出したときに、パーカッションで吳政君が入ってバンド「生祥樂隊」になったんです。その頃、客家の子供や青少年向けに、客家語の歌詞の音楽を作ってCDにするっていうプロジェクトがあって、2012年ぐらいから4、5年間、毎年1枚アルバムを作っていたんですよね。そのアルバムの中で、米莎ちゃんとか黃子軒など色々な客家語シンガーも参加していて、その出会いで仲良くなったんです。米莎ちゃんがカナダでライブした時も僕らが伴奏したりもして、その縁で米莎ちゃんが2019年のアルバム『戇仔船』のプロデュースを早川くんにお願いするということになって。なので、結構長い付き合いなんですよね。ゆっくり積み上げてきた人間関係と演奏機会の一つの結果のようなアルバムが『戇仔船』だと思いますね。

── 同じく金曲獎で最優秀台湾語アルバム賞を受賞した、濁水溪公社のアルバム『裝潢』にも参加していらっしゃるんですよね。

大竹:あのアルバムは、林生祥の紹介で本当にちょっとだけ参加してるんです。小柯さんが大好きだし、あの人は下ネタとかも言いまくってるし、サザンの音楽も大好きだし桑田佳祐さんっぽいですよね(笑)。彼は音楽を上手く構築することもできる人で。僕も昔は、佐橋佳幸さんとか小倉博和さんみたいなセッションマンに憧れたけど、参加させてもらったのは光栄ですね。

── なるほど。やはりここも林生祥を軸に広がっていった感じなんですね。

大竹:そうですね。林生祥って本当にバンドメンバーを変えない人なんですよ。もし彼が飽き性だったら、僕も台湾でうまいこと演奏活動をずっと続けられなかったと思うし、やっぱり地に足がついた人だなと思いますね。すごく感謝してます。

── 2020年の金曲獎では最優秀作曲家賞、金音創作獎でもベストプレイヤー賞を受賞されましたよね。おめでとうございます。

大竹:ありがたいですよね。若い頃に受賞してたら天狗になっちゃってたと思うので、今でよかったなと思うし(笑)。実は僕、10年前くらいはこういう賞に対して懐疑的だったんですよ。だけど、東京中央線としても去年受賞して、その時にノミネートされてる人たちも僕がいいなって思うミュージシャンばかりだったんですね。その中に自分もノミネートされてるから素直に嬉しいなと思って。ここ10年ぐらいの間で、台湾の音楽って全ジャンルですごく変化・進化してかっこよくなってきてると思っていて。そんな台湾の音楽シーンで賞をもらえるっていうことっていうのは、とてもありがたいです。

── 昨年受賞された楽曲「Okinawa」についても教えてください。

大竹:具体的に言うと、「Okinawa」っていう曲はジャズだけ掘っててもあの曲にはならなくて、色々な要素が含まれていると思っていて。その要素がジャズ要素と、僕が2000年から2005年まで平安さんと毎日のようにやっていた沖縄居酒屋で学んだ民謡とか古典、カチャーシーとか、沖縄音階やリズム、知識が僕の中に染み付いてるわけです。僕はアコースティックギターを始めたのも遅くて、2000年の25,6歳頃からなんですが、もう亡くなってしまったアコギの恩師の津村秀明さんがいて。彼は基礎的なことからアコースティックギターの響きの中に僕自身のことを見つける方法みたいなのを教えてくれたんです。あとは10年ぐらい前に仕事が少なくて暇だったときに、林生祥がすごく印象的な一言を言っていて。「俺は日々の生活の中で一番大事にしてることがある。それは何かっていうと、1日をシンプルにしようとしてるんだ」と、言ってたんですよ。起きてご飯を食べて、曲を作って、卓球をやりに行って、ウイスキーを飲んで寝る。全く浮ついたところがないんですよ。僕はスガシカオさんの大ファンなんですけど、当時はちょっとセクシーなカッコ良さが僕の思うアーティスト像だったんです。でも、それよりも、ちゃんと自分の中にあるものを掘って取りに行って、ちゃんと戻ってきて社会にアウトプットするってところまでやって、社会がそれを認知したらそれはアーティストって呼んでいいと思うんです。その最初の段階としては、やはり自分を掘らないといけないんですよね。ジャズ要素と、沖縄要素とアコギの弾き方、生活態度とかこれら学んできた結果を全部含めた結果、賞はついてくるものなのかなと。後付けだけど、そう捉えたいなと思ってます。

── 自身の音楽背景や出会った人、生活まで全部の要素が入った「Okinawa」という曲だからこそ受賞に至ったんですね。金曲獎と金音創作獎は台湾の中でも2大音楽式典ですが、台湾で活躍されているミュージシャンとしてはもちろん、音楽ファンの方にとっても、これらの式典での受賞はとても権威があることだと思いますか?

大竹:思いますね。社会的に認知されるための通行手形になるというか。全然僕のことを知らなかった人に知ってもらうことができるいい機会ですよね。100人が僕を認知してくれて、そのうち10人が強く興味を持ってくれたとしても結構大きいことなんですよ。ソロギターでもよくライブをやるんですけど、「何で僕のことを知ったんですか?」って訊くと、金曲獎とか金音創作獎で見たっていう人もいるんですよね。あとは台湾の音楽を紹介する人にとっても、1個の分かりやすいお墨付きにもなって紹介しやすくなる。受賞ミュージシャンのプレイリストに入れてもらったりとか、知ってもらう人の分母を増やすのに、すごく役立ってるなと思います。

── 日本でもレコード大賞や有線大賞など毎年開催されていますけど、金曲獎や金音創作獎だとその影響力はより大きいものなのかなと思っているのですが、そこはどう感じますか?

大竹:日本のレコード大賞は主流の音楽やアイドルが受賞することも多いですが、皆が知りたいのって超メジャーなグループの賞レースじゃなくて、もうちょっと知名度が低い層だけど良いミュージシャンを知りたいんじゃないかな、と思っていて。その点、台湾はピラミッドの真ん中辺りの層を掬ってくれている気がして、それに助けられていると思います。あとは台湾って地域性に頼らざるを得なかったと思うんですよね。そう思う理由が二つあって、一つは戒厳令が解かれるまで音楽がちゃんと入ってきていない時代があったこと。もう一つは、台湾の人って日本人より真似が上手くないこと。プロの真似をして演奏テクニックを上げるよりも、地域性を盛り込んで音楽をかっこよく作ろうっていう流れがあったと思うんですよ。だけど、最近は9m88なども出てきてるし、ラッパーのLeo王が「林生祥さんは大竹研さんみたいな、まともなミュージシャンを日本から連れてきてやってる。だから、僕もライブをやるんだったら、生でご機嫌な人と一緒にやっていくことを継いでいきたい」って話してくれて。ということは、シンガーがミュージシャンをちゃんとリスペクトしてくれるっていう風になってきて、今まではきっとそうじゃなかったんですよね。台湾の音楽業界ではミュージシャンの地位が低かったんだけど、だんだんとミュージシャンにリスペクトが向けられるようになって、結果として技術も上がってきてるんですよね。だから、今後もっと良くなると思うし、上手くてかっこいいものがより当たり前になってくるのかなと思うんです。なので、台湾は国を挙げてバンドのピラミッドの真ん中を取りにいってる感じがしますね。

── なるほど。大竹さんが台湾に本格的に根を下ろして活動を始めた15年近くの中でそう感じられたんですね。その間の台湾の音楽業界の変化や現状について、他にどう感じていらっしゃいますか?

大竹:さっきの話ともリンクするんですけど、やっぱり単純にかっこいい音楽をやってる人が増えているし、技術が上がった印象ですね。具体的に言うと留学する人が増えて、今30代の人たちが留学先から戻ってきて、それでいいミュージシャンが増えたんですね。あとは、例えば落日飛車(Sunset Rollercoaster)のようなセンスのある人、おしゃれな音楽とか技術がないとできない音楽をやる人が、この10年でだいぶ増えてる感じがしますね。もう一つ感じるのは、台湾の新型コロナウイルスの対応が素晴らしかったと言われていますが、そういう風に台湾は開かれている場所でちゃんといいことできるんだっていう前向きなイメージと、音楽の健全な状況が、僕にはちゃんとリンクしているように思うんですよ。客家とか原住民のような地域性もちゃんとあるし、その中で技術者とおしゃれさが両輪で回ってる感じがすごく健全ですね。技術者側だけが育っても、お客さんには何やってんだかよく分かんない状態になっちゃうけど、9m88とか歌のリズム感とか音楽も傑出してるし、モデルみたいなオシャレなこともできて、やってることがとにかくかっこいい。彼女が何が革命かって、あんなにすごい子が大手のレコード会社じゃなくインディーから出てきたことなんですよね。音楽のあり方っていう意味合いでは、もはや大きいレコード会社じゃなくても音楽が作れる時代じゃないですか。ノウハウや歴史がある大きい会社があってもいいと思うんですけど、インディーであれぐらい強力な方が出てきたっていう構造が健全だし、日本だとちょっと想像つかない状況だなって思ったんですよね。国としても、コロナ禍の中でも普通にライブはできますし、そういった国の健全な態度が今ミュージシャンが普通にライブをやれるっていうヘルシーな状況に影響してますよね。演奏活動がちゃんとできるってことはミュージシャンが食べていける、ミュージシャンが食べていけるってことは演奏者の技術も上がっていくわけで。あとこれは一長一短あるんですけど、国としてお金がない人がアルバムを作る時に補助金が出たりするんです。いい音楽を作るために国がサポートするっていう状況が健全にできていると思います。音楽が自由にどんどん変化・進化していくための土壌がちゃんとあって、そこに上述のかっこいい音楽をやる人も増えてきて、すごく健全に見えます。

── 政府の支援や補助もありつつ、プレイヤー側のレベルのも上がって上手く歯車が回っているんですね。

大竹:結構昔からあるんですよ。例えば客家だったら、林生祥が以前、2ヶ月間日本に来た時に100万円ぐらいの支援を出してもらって日本で音楽を学んだりして。たしか米莎ちゃんは、キューバに行ってたかな? 若手の見聞を広めるために文化局が惜しまずに支援をしてるっていうのは、音楽に限らず昔からありますね。音楽の場合は、留学してた人が最近帰ってきたりして、特に実りを結んでる感じがします。日本だとクラシック音楽じゃないともらえないような支援を、台湾だとポピュラーミュージックの人も受けてるっていうのが一番分かりやすい言い方かもしれないですね。

── 海外で活躍したいならプレイはもちろん、ある程度の語学力、コミュニケーション能力は必要不可欠だと思いますが、大竹さんも台湾で活動し始めるときにそれらの苦労はありましたか?

大竹:僕は英語はちょっと話せていたし、コミュニケーションは割と何とかなったんですよ。あと、僕は2007年ぐらいにこっちに来てから中国語も勉強しているんですが、ローカル言語もやった方がいいなと思います。国をまたいで音楽をやるんだったら、少なくとも仲間内に一人は語学できる人がいたらいいですよね。ちょっと話ずれるんですけど、僕の大学の1個下にドラムを叩いている後輩がいて、大学卒業後に歌とドラムだけで自分のデモテープみたいなのを作ってホームページ上で発信してたんですよ。その時に彼に食いついたのが、なんとビョークなんです。そこからビョークが2003年に出したアルバムにも参加するようになって。彼も英語はまあ普通にできたんですけど、やはり英語ができて発信できるってこと、自分の仲間内には外国語で交渉事をできる人はいた方が絶対広がると思います。

── 今はせっかくSNSとかYouTubeとか世界の人が見れる場所があるし、母語だけで発信というのもちょっともったいない気もしますよね。

大竹:僕が日本について思うのは、例えば地域毎の発信が大事かなと。今の時代、良いミュージシャンは東京に限らず各地にたくさんいるし、例えばどこかの県在住のアーティストの中でのコンペティションを自治体レベルで作って賞金を出したり、入賞したらフジロックに出れるとかあったら面白いと思うんですよね。台湾でも、金曲獎も原住民の阿爆(ABAO)が3部門で受賞していますけど、原住民の要素とポップスとか、客家のメロディーとジャズとか、地域性の要素がすごく入っているんです。要は日本酒とかワインの楽しみ方みたいなもので、日本でも例えば鹿児島の民謡が入ったロックとか、そういう地域性みたいなのって、実は僕らが思ってる以上に外国の人は求めている。音楽も地域性を打ち出していく方が、外国人は選びやすいとはと思います。でも、地域性なんかに頼りたくない、英語で歌いたいって言うんだったら、それもまた1個の選択肢じゃないですか。両方あっていいと思います。台湾はそこのバランスが健全に見えますね。

── 日本のミュージシャンの中で、台湾をはじめ海外に出て活躍していきたいと考えている人がいたとして、そういう人たちにどんなアドバイスができると思いますか?

大竹:うーん、僕自身はなるようになってきたっていう部分が多いだけに難しい質問ですね。やっぱり取っ掛かりになるコネがあればいいんじゃないですかね。その後は、巡り合わせとかタイミングもあるかもしれないですけどね。あとはバンドの種類にもよりますよね。例えばジャズだったら、台湾のジャズ仲間との交流が深まっていくかもしれないし、ジャズに強いオーガナイザーとかキュレーターとのコネクションも大事だと思いますね。でも結局今言ったことって無理にやっても広がらないんですよね、タイミングもあるし。僕は御縁に生かされてるところが大きいです。逆に質問したいんですけど、僕が日本で演奏機会を増やすには今後どうしたらいいですか? っていう質問と結構似てますよね。ちゃんと宣伝するとか、やれることって決まってきちゃうんですよね。

── なるほど。

大竹:厳しい言い方かもしれないですけど、やっぱり続けてたら人は見ててくれるもので、日本で上手くいかないから海外でやるっていうのは、あんまりヘルシーには聞こえないんですよね。だけど、ずっとそこに止まってるよりも、心はオープンにした方がいい。例えば、ドイツの人が日本のデスメタルを好きで感動してくれるみたいに、日本という市場で気に入ってもらえなくても、ある国、文化圏だったらすごく歓迎されるってことはゼロじゃないと思うんですよ。日本でとりあえず頑張るのも大事なんだけど、一応世界にはいろんな人がいて、あなたの音楽を好きになってくれる人がいて、そこと縁があるかもしれないって思うのも大事です。だけど、そう思いすぎても駄目。結局、自分がどういう音楽をやりたいのかをちゃんと理解して、何が足りないのか、どんな練習をしなきゃいけないのか、どんな人とコミュニケーションを取る必要があるのか考えた結果に、海外との縁があるかもしれないし、ある人は日本で成功するかもしれない。やらなきゃいけないことを楽しんでやってるうちに、道は開けて来るかもしれないですね。

── どのタイミングで急に上手くいくか分からないですよね。その為に目標を持って、常に準備しておくのは欠かせないことだと思います。最後に、東京中央線の最新アルバム『Fly by Light』についてお訊かせください。

大竹:前作のアルバム『LINES & STAINS』は、同じく金曲獎を取ったサックスプレイヤーの謝明諺くんにも吹いてもらったりしてジャズの即興感に寄ってたんですけど、でも、今回はバンド感を意識して、作品として作り込んでますね。ロックやジャズファンはもちろん、あとはマスロックの真似をしたりして、マスロックが好きな人にとっても楽しめるような内容になってますね。あとは、こんなご時世だしすごくポジティブな音楽になることも意識してます。僕もインドの詩人のタゴールさんの映画のトレーラーを見て書いた曲もあったり、フェスでも皆が盛り上がれるような曲もあったり。いわゆるジャズマンがあまりやらなそうなことをめっちゃ時間かけて作ってますね。メンバーの早川くんも福島(紀明、Dr.)さんも、亡くなられたドラマーの師匠の古澤良治郎さんが柔らかい考え方の人だったこと、僕もジャズ以外のバックグラウンドもあって、これまでもライブでそれらを柔らかく自由に演奏してきたんですけど、今回はそれをきっちりと作品として残しました。これまでとは全然違う感じになったし、ジャズファンだけじゃなくて、色々な人に聞いてほしいって初めて心から思える作品になりました。是非聴いてください。