今、日本でも話題の、最高に注目のアーティスト、YELLOW黄宣(ホアンシュエン)、ロング・インタビュー

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インターネット上でも、日本語で、かっこいい!という言葉をよく見るのが、台湾のバンドYELLOWでありそのYELLOWのヴォーカルYELLOW黄宣(ホアンシュエン)だ。ジャズ、ファンク、ソウル、エレクトロ、ロックのどれをも感じ美しい融合を見せる彼らの音楽を聴けば、間違いなく、納得すると思う。ちなみに、今年の金曲奨では、まだ結果発表はされてないが、編曲賞とシングル・プロデューサー賞、そしてバンドYELLOWとして新人賞にノミネートされている。

私自身、台湾の音楽を紹介する仕事をかれこれ30年ほど行なってきているが、また日本でも存在感を示すことができるのでは?というアーティストに出会った感じがしている。

そんな思いを持って、今回YELLOW黄宣にインタヴューを試みた。

ちなみにバンドYELLOWとYELLOW黄宣の両方のクレジットで曲はリリースされている。彼が言うには、このふたつは本質的には違いはないとのこと。

これから間違いなく、台湾のポップ・シーンで大きな役割を果たすであろう、YELLOW黄宣の声、お聞きください。

では、まずは、YELLOW黄宣が教えてくれたプロフィールから紹介しよう。

1992年5月27日台北生まれ。明るく元気でいたずら好き、成績優秀な子供だったそうだ。彼が育った環境にはたくさんの音楽があって、様々な音楽に触れることができたという。母親はゴスペル・シンガーで、9歳年上のお姉さんも音楽が大好き。ゴスペル、ソウル・ミュージック、 R&B、ディズニー音楽、映画のオリジナルサウンドトラック、それから当時の中国語の人気曲やロック・ミュージックなどを聴いていた。YELLOW黄宣いわく、バランスよく音楽を取り込めていたそうだ。

YELLOW黄宣は、ご両親が原住民(中国大陸からの移民が来る前から住んでいた人々)だ。家庭には原住民の音楽があったのだろうか?

「両親の世代から僕の世代にかけてはこういった文化の継承がどんどん消えていき、家庭教育では伝統文化の影響をまったく受けませんでした。せっかく貴重な血筋を持つのに、帰属意識も低く、文化的なギャップもあり、残念だと思う。

ただ、この文化の疎外感があるからこそ、成長するうちに無意識にその根源を辿ろうとして、作品に原住民の伝統的古調のハーモニーを入れてみたんです。効果はバツグンでした」

では、YELLOW黄宣がどのようにして音楽の世界に入っていったか、そのあたりを聞いてみよう。あの、香港のジャッキー・チェン(成龍)の会社に入ったという話を聞いたことがあるのですが・・・。

「実は14歳の時に縁があって、ジャッキー・チェンさんの台湾のマネジャー(僕の当時のマネジャー)に出会い、僕のパフォーマンスに対する情熱にポテンシャルを感じ、一緒に仕事するチャンスを頂きました。当時は公表された作品は少ないのだけれど、ライヴ・ハウスなどでライヴをしていたんだ。ジャッキーさんには3回位しか会ったことがないけれど、皆さんよりほんの少しだけ知っています(笑)。

そして、その後についてですが、2014~15年頃、ソングライターとして作曲や編曲をし始め、知人のベテラン音楽プロデューサーにスカウトされこの業界に入ることができました。彼は僕の恩人で、リアルな音楽業界の知識を与えてくれたんだ。

あの頃僕は自分の作品をコツコツとネットで公表していた、飛知和午次郎(ひちわうまじろう)という偽名だったけどね。その名前は僕が当時ハマっていたゲームキャラで格好いいなと思って使っていたんだけど、みんな僕のことを日本人と勘違いしたらしく、今振り返ると面白かったです。

で、今のYELLOWのメンバー曹瑋が僕の公表した曲を聞いて魅了されたらしく「ライヴやるんだったら僕を呼んで。他のすごいヤツも集めるよ」と言ってくれた。その曲が後日、僕のデビューEP『都市病』の中に収録された<羊皮先生>。

2018年8月、僕は東京で高校の同級生宅に泊まり、一ヶ月遊んでいたんだ。その年はデビュー作を発表しようと思っていたし、幸いにも文化部からアルバム制作の補助金を受けることができたので、日本にいた僕は一時もじっとしていられず、早速“飛知和午次郎”の作品の整理に取り掛かった。

タイミングよく僕の良き先生であり親友のAlenさん(阿涼/共同プロデューサー)も日本にいたため、渋谷付近のカフェで今後の仕事について話し合いました。

で、台湾に戻った後、曹瑋や他のメンバーと連絡をとり、短時間でアルバム『都市病』を完成させました。日本とは不思議なご縁がありますね」

では、バンドYELLOWのメンバーを改めて紹介してもらおう。黄宣の解説付きです(笑)。

「『ONE PIECE』のキャラクターで紹介するのが最適なので、そうしますね。

ベース 曹瑋/サンジ/敏腕でスケベなやつハハハハ・・・。

ギター Tim/ゾロ/ギターそのものが彼の刀。何でも弾けます。

ドラムス 小陳(シャオチェン)/チョッパー/恐るべしドラム技の持ち主だが、抜けてるところもあって可愛い存在。

キーボード CJ/フランキー/テクニックはもちろん、どんな物も修理できます。お腹も似ている?」

ということは、黄宣はルフィ??(笑)。では、次に、彼が影響を受けたアーティストを聞いてみよう。

「僕をインスパイアしてくれたミュージシャンは多すぎて一人に絞ることはできないけれど、影響力の深さは時期によって異なると思います。母の関係で、子供の頃はゴスペルをたくさん聞いていたし、小学校の時は台湾の陶喆(デイヴィッド・タオ)、張震嶽(チャン・チェンユエ)が好きだった。その後John Mayerが大好きな時期もあって、彼の曲でたくさん弾き語りの練習をしました。高校の時にはPrinceのパフォーマンス・スタイルに惹かれ、彼の音楽を深掘りしたり。あとはイギリスのJamie WoonやアメリカのRobin ThickeとD’Angeloも僕に大きな影響を与えています」

挙げられたアーティスト、わかるわかる。また、YELLOW黄宣は以前のインタヴューで、PファンクのGeorge Clinton(ジョージ・クリントン)について言及していたことがあったので、彼のことも聞いてみた。

「クリントンと彼のPファンク、最初彼らの音楽を耳にした時、何ていい加減なんだと思ったにも関わらず、体が勝手に動いてしまい、自然とグルーヴの世界にのめり込んでしまった。正に音楽の魔術師。そして彼らの乱暴で華麗なステージ・スタイルが大好きです」

言い得てますね~。さて、YELLOW黄宣の音楽で、目指すものは何か聞いてみた。彼の音楽からは、様々な音楽の融合、たとえば無機的なものと有機的なものの融合といったものを感じるのだが・・。

「実を言うと僕は、自分の求めている音楽が何かは完成するまで分からない。自分の作品には決まった方法や組み合わせ方などないし、その場その一瞬のひらめきや直感に任せて音楽に対したイメージを結びつけているだけです」

では、音楽を作る上で一番大切にしていることはなんだろう。

「今の僕にとって音楽作りで一番大事なのは、音楽を完成させることです。WWW」

それは、正しいですね(笑)。

今の台湾の音楽シーンを見て、どう思うか、聞いてみた。

「昨今の台湾音楽の風潮は多種多様になってきていて、一般の方が受け入れられるジャンルもより豊かになっています。その為さまざまな音楽やパフォーマンスの形にトライしている人がいます。言い換えれば多くの人が同じことをしようとしている。その中で僕はただ少しだけ皆と違う選択肢を見出せればと思っています。センス、これがその内の一つで、僕の選択肢に誰かが興味を抱いてくれると最高ですね」

日本文化について聴いてみた。

「先ほど言ったように、僕は日本のことはよく知っている方だと思います。僕の世代は大量の日韓ポップ文化にカルチャー・ショックを受けて育ちましたし、母も日本のドラマの大ファンだったので、僕も日本の俳優であれば顔を見れば一人や二人名前がパッと出てきます。

最近一番好きなのは常田大希(King Gnu, Millennium Parade)さんです。音楽のセンス、異なるスタイルを違和感なく融合するインパクト、それから視覚的表現や人柄まで魅力的です。ネットで彼に関するほとんどのドキュメンタリー・フィルムも見ましたし、そして僕と同年同月生まれなんです。

実を言うと、この間彼の誕生日に僕は彼のインスタに誕生日祝いのDMを送ったら、なんと彼の友達が僕の作品を聴かせたらしく、とてもいい感じだとの返信が来ました。そのことを振り返ると今でもスゴいと思います。素敵な作品をありがとう。いつか日本で彼に会えることを楽しみにしています」

国際的な活動をしたいと思っていますか?

「もちろんより多くの方々に僕の音楽を楽しんでもらいたい。常田さんが気にしないならね(笑)」

では、売れる、ということにはこだわっていますか?

「僕にとっては、売上げより、遥か彼方の皆さんに僕の曲が届くかどうかが気になります」

音楽以外に影響を受けた文化は?

「大学での専攻は演劇学部で、映画が大好きでした。例えばクエンティン・タランティーノや、ダニー・ボイル、ウディ・アレン、それから王家衛(ウォン・カーウァイ)などの監督の作品が好きです」

最後に聞いた。あなたの音楽を一言でいうとしたら、何と言いますか?

「本当は自身の作品を説明するのは好きではありませんが、強いて言うなら、

It was all yellow (すべてが黄色だった/Coldplayの歌詞)」

作者