台湾嘻哈時代:1990年代から2021年まで

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    韓国には2012年スタートの『SHOW ME THE MONEY』がある。日本には2015年から2020年まで『フリースタイルダンジョン』があった。もとはと言えば、本家本元アメリカには2001年から"Freestyle Friday"があったし(BETの人気番組『106 & Park』内)、中国では上記『SHOW ME THE MONEY』そっくりの『中國新說唱/中國有嘻哈(The Rap of China)』が続いている。

    そもそもコンペティションの要素が強い文化であるヒップホップは、MCバトル/勝ち抜き/オーディション系のリアリティ番組とは相性がいいらしい。

    そして台湾。2021年6月から始まったのが『大嘻哈時代(THE RAPPERS)』だ。

    この手の番組のスタートに関して遅れをとった感がある台湾だが、それは「ヒップホップ後進国」であることを意味しない。むしろ浸透度では韓国と並ぶヒップホップ大国と思えるのだ。

    日本の学校がダンスを必修科目にする前から、駅の地下道にダンス練習用の鏡張りスペースを設け、「夜は大きな音を出さないように」と学生たちに優しく諭していたのは台北である。

    市内の士林夜市(ナイトマーケット)の各所に、(2008年当時)台北公演間近だったThree 6 Mafiaのポスターが貼られているのを目撃したり。

    同じく市内、西門町の「電影主題公園」には所狭しとグラフィティが描かれており、それも台北市政府のバックアップを受けたものだったり。

    それらは、台北のそこかしこに根付いているヒップホップ・カルチャーの存在感を示すものでもあるのだ。夜市でおばさんが営む個人商店でMC Hotdog(熱狗)が爆音でプレイされ、地下の書店街ではSoft Lipa(蛋堡)がBGMとして流れ、弁当屋のおじさんがMacBook AirでYoung Souljaz(楊素貞)の最新ミックステープをチェックしていたりする国だから。

    ロサンゼルスから台北へ

    台湾ヒップホップの出発点の一つは、L.A. Boyzだろう。

    92年にデビューしたL.A. Boyzは、カリフォルニア育ちの台湾系アメリカ人トリオ。メンバーは、ジェフリー・ホアン(黄立成)&スタンリー・ホアン(黄立行)の兄弟と、従弟のスティーヴン・リン(林智文)である。

    80年代末からのダンスブームがまだまだ熱い時期。徹頭徹尾ダンスしまくりながら、英語を中心にラップしていく彼らの姿は衝撃的だったろう。こうして父母の故郷・台湾にヒップホップの種をまいた彼らは、97年までにアルバムを多数発表するも解散。スタンリーは台湾に留まりソロ活動を開始するが、後の二人はアメリカに戻り、実業方面に転身することになる。

    ジェフリー・ホアンは2003年、台湾に帰還。再上陸後の彼が結成した集団がMachi(麻吉)だ。これはヒップホップ・グループであると同時に、ソングライターやダンサーやスタイリストまでを含むクルーであり、会社でもある。グループとしての本格的活動は短命だったが、クルーの面々はクラブ経営から映画制作、IT関連にまで幅広く関わっており、台湾エンタテインメント界に欠かせない人脈となった。

    そのジェフリー・ホアン再上陸の少し前、2001年に4枚のEPを連発リリースして頭角を現したのが、MC HotDogだ。鋭い舌鋒で韓流ブームに警鐘を鳴らし(01年の時点で)、地元アイドルたちをも批判。一方で、台湾女性を賛美する曲「我愛台妹」もリリース、人気を獲得する。2010年代に入ってからメインストリーム化し、台北ドーム公演を敢行するまでになった。

    このMC HotDogの台頭を経た00年代後半からが、台湾ヒップホップの本格開花と多様化の時期だろうか。そもそも台湾は中華圏最強の音楽輸出国であり、そのメインマーケットは中国。ヒップホップに関しても例外ではなく、台湾ラッパーは中国でも聴かれている。ただし公的には発禁扱いとなっている例が多いようだ。MC HotDogの場合、「俺のジーンズはタイト」という一節が問題視されたという謎展開。それでも彼が上海などの中国都市でライブをやれば客は大入り。つまり、違法にダウンロードされたものが水面下で出回っているのだろう。

    古都・台南とヒップホップ

    地元の事情通で、「台湾ヒップホップがいち早く根づいたのは台南」と語る人は多い。

    冒頭でさんざん言及した台北は、日本統治時代に巨大化し、ついで国民党政府のお膝元となった都市。そして「華語の街」だ。

    対する台南は福建系の古都で、華語化に抵抗した「台湾語の街」。ヒップホップという文化が、出身地やバックグラウンドを含めた自己存在に対する徹底的な肯定を旨とすることを思えば、ヒップホップが開花したのが台南なのも理解できる。

    そんな台南が生んだ最大のラップ・ヒーローが、「台湾ヒップホップ界の菩薩」とあだ名される大支だ。

    柔道家からラッパーに転身した偉丈夫、熱心な仏教徒にして素食家(ベジタリアン)。そんな彼は、2011年3月11日の東日本大震災を受け、その2日後には日本応援ソング「Japan, We Are With You」を動画付きでアップした男でもある。ありがとう。

    とはいえ、台南に住み続ける大支は幸運な例外。地方マーケットが小さい台湾ヒップホップでは、地元で活動しながら全国的に浮上するのは容易ではない。いきおい、台北に出てきて一旗あげることが多くなる。そうした中でも特に成功したのが、台南育ちながら台北を拠点に活動するSoft Lipa(蛋堡)だ。機材の扱いに長け、サウンド作りも手掛けるラッパー/プロデューサー。音作りはジャジー、そしてラップは軽妙かつ飄々とした趣きだ。クラブジャズ・バンドJabberloop等、日本勢とのコラボにも積極的である。

    2010年代後半からの展開

    かくいうわたしが台湾のヒップホップ・シーンを本格的に追い始めたのは2010年ごろから。だが、その頃に見えていた風景から格段にスケールアップしたのが、2015年以降の台湾ヒップホップの展開だ。

    いくつか例にとると……

    2017年7月には台北で、大支が主催するコンサート「亞洲嘻哈高峰會(ASIA HIPHOP SUMMIT)」が開催された。韓国からはFlowsik、ヴェトナムからはSuboi、日本からはANARCHY、地元・台湾からは大支の弟子にあたる熊仔が参加。

    特に大支チームとFlowsikとの相性は抜群だったようで、翌2018年10月には国立故宮博物院にて、大支&Flowsik&熊仔という布陣で「嘻哈故宮(Hip Hop Night at NPM)」という催しも行われた。

    同じく2018年4月には、台北市内の文化展示施設「華山1914」で台湾ヒップホップ・ヒストリーを総括する展覧会『TAIWAN HIP HOP KIDS』が開かれた。5日間で3万人を集めたという。その展覧会を企画したのは、台湾ヒップホップ界最大のレーベルの一つ、KAO!INC.の名物社長、Dela(迪拉胖)である。

    2018年、そのDela社長に話を聞く機会があった。ちょっと長いが、引用しておこう。

    「今の台湾ヒップホップ界では、たくさんのクルーやレーベルが競い合っている。南拳、北拳、ウータン(武當)、シャオリン(少林)が入り乱れるカンフー界の“武林”みたいに。

    台湾には4大ヒップホップ・レーベルがある。台北には俺たちのKAO!INC.があり、台中には玖壹壹(911)が所属する混血兒娯樂がある。台南には大支の人人有功練。そしていちばんビッグなのは、やはり台北にある本色音樂、MC HotDogや頑童MJ116がいるレーベルだ。

    その4大レーベルは、それぞれファン層が違う。俺たちKAO!INC.のファンは、ヒッピーっぽいところもあるヒップホップ文化人。MC HotDogや頑童MJ116の本色音樂は、パーティーピープルに愛されている。玖壹壹(911)の混血兒娯樂は労働者階級、アンダードッグたちに支持される。大支の人人有功練は政治的な人たちを惹きつける。

    他の国ではヒップホップといえば一つのステレオタイプを思い浮かべるかもしれないが、台湾のヒップホップは多様だ。だから台湾人に“ヒップホップとは何か?”とか“なぜヒップホップが好きなのか?”と訊けば、いろいろな答えが返ってくるだろう。

    こういった台湾ヒップホップ・シーンの円熟と共に、満を持してスタートしたのが件の番組『THE RAPPERS』である、とも言えるかもしれない。

    番組のメイン・ホストはラッパーではなくシンガーのJ.Sheonで、充実を見せている台湾R&Bシーンとリンクしている感があり、好感が持てる。この手のショーにつきもののメンターを務めるのは4人で、Leo王、大支、熊仔(くまちゃん)、剃刀蔣。最後の剃刀蔣は、プロデューサーとしてJ.SheonやØZI らを手掛けてきた凄腕で、これまたヒップホップが歌(R&B)を取り込んで変化しつつある今を象徴する人材だろう。

    群雄割拠の諸子百家、百花繚乱で百家争鳴。そんな台湾ヒップホップがこれからどう展開するか。とても楽しみだ。

    作者