classics revisited vol.1: 蛋堡(Soft Lipa)『收斂水』

Dec-27-2021

知られざるヒップホップ大国、台湾。そのシーンは、群雄割拠の諸子百家、百花繚乱で百家争鳴。さまざまなアーティストやクルーやレーベルが賑やかに競い合い、切磋琢磨している。

そんな状態の台湾ヒップホップが、ここ日本では今ひとつ知られていない。実に残念なことだ。

この現状を打開するため、わたしは台湾ヒップホップ史に輝く名作群の魅力を伝えていきたいと思う。それが、この"classics revisited"シリーズだ。もちろん、隣国から覗き見しているだけのわたしが書くものだから、極めて私的で、独断と偏見に満ちたチョイスになることは避けられない。だが、そもそも「私的でない音楽評論」というものが存在するだろうか?

なんにせよ、わたしが台湾ヒップホップを語るならば、まずは蛋堡(Soft Lipa)のアルバムから始めるべきだろう。わたしにとっては初めて本格的に聴いた台湾ラッパーであり、彼との出会いがなかったら本ウェブサイトに寄稿するようにはなっていなかったろうから。

それは2010年夏のこと。馴染みのレコード会社ディレクター(日本人)のWさんから連絡があった。「丸屋さん、台湾のヒップホップに興味あります?」と。
もちろん興味はある。だが知識がなかった。それ以前に一度だけ台北に行った時、士林夜市近くのNEW ERAショップで目立つ「犬」というロゴが入ったキャップが、現地で人気のMC HotDogなるラッパーのシグニチャー・モデルだということを店員から聞かされて、気になってはいたが、そこから知識は広がっても深まってもおらず、要はほとんど真っさらだ。そんなわたしにWさんは「ソフト・リッパというラッパーがいます」と言う。「英語名はSoft Lipaですが、中文でのラッパー名は"蛋堡"と書いて、タンパオと発音しているように聞こえます。エッグバーガーの意味です」とも。

そうして渡されたのが、アルバム『收斂水』だ。

一見すると白いハードカバーのポエトリー/フォトエッセイ本と思えるそれがCDパッケージであることを理解するまで、少し時間がかかった。確かに、ページを最後までめくっていくと、表3(裏表紙内側)に備え付けられたポケットにCDが収められているのを発見するが、それ以外はどこをどう見ても書籍である。K-POPアルバム各種を見て薄々予感はしていたが、「どうやら日本を除くアジア諸国では、CDバッケージがとてつもないデザインになっているようだ」ということも実感させてくれた。その『收斂水』の白いパッケージの帯には「都會、簡約、輕饒舌」とある。つまり、都会的で、シンプルで、ライト級のラップ、か。

アルバム全体の前奏曲である「關鍵字 (Intro)」に続く「Hit the Rhyme」は、まさに「都會、簡約、輕饒舌」を体現した曲と思えた。明るく洒脱でピアノの前奏に導かれた蛋堡のラップがとても軽やかに響く。途中でタイミングよく挿入されるフルートも効果抜群だ。より哀感が強い「嘶! Bamboo Holla」にしろ、明るさの中にほろ苦さを漂わせる「關於小熊」にしろ、たまらなくクールな「遇見」にしろ、みずみずしいサウンドをバックに、蛋堡は飄々とした風情で力まずライムを紡いでゆく。ヒップホップのステレオタイプとしてイメージされがちな「ギャングスタ」「ハードコア」ではなく、かといって、「ポリティカル」「メッセージ」でもなく。

https://www.youtube.com/watch?v=7gCtkT1A1tA

もちろん、それが北京語であれ台湾語であれ、いかなる意味でも中国語話者ではないわたしが、彼のラップの真価を理解しているとは思わない。だが、実際に蛋堡の作風が台湾のリスナーに与えたインパクトは大きかったようだ。カップルの出会いから別れまでを目撃するテディベアの物語「關於小熊」等を筆頭に。

もう一つ、わたしが驚いたのは、全体に占めるラップのパーセンテージの少なさ。逆に言うと、インストゥルメンタル部分がとても長いのだ。

なぜなら「蛋堡は専業ラッパーではないから」だろう。他のミュージシャンに依頼したギター、ベース、フルートといった楽器演奏パートもあるが、トラック制作は基本的に自分で行なう自己完結型のヒップホップ・アーティストだから。

サンプリングを使用したトラックはほとんどないようだが、それでいて、アルバム全体が様々なレコードからのサンプリングで構成されているかのような感覚に満ちている。つまり、とてもヒップホップらしいということだ。しかし同時に、蛋堡のトラックから匂い立つのが、ステレオタイプなソウルやファンクの香りだけではないことも強調しておきたい。イージーリスニングでも歌謡曲でも古いジャズでも、すんなりと音世界を構成する要素としてしまいそうな自由さ。思えば1980年代後半にデ・ラ・ソウルが登場した時の衝撃は、これに近いものではなかったか。

もっとも、わたしが一番好きなのは、ドリーミーに浮遊する「遇見」のジャジーなムードの中に挿入されるGファンク調のシンセサイザーなのだが。

そうそう、"Gファンク"で思い出したことがある。このアルバムの後半に収録された「煙霧瀰漫 軟嘴唇 remix」は"ジャズmeetsシャンソン"的な洒落っ気が匂い立つトラックだが、アルバム末尾にボーナストラックとして入っているオリジナル版の「煙霧瀰漫」は鬼気迫る曲調で、ハッキリとGファンクだ。それもドクター・ドレーでもウォーレン・Gでもなく、ダズ・ディリンジャーの作風に近い。他曲は全て蛋堡の制作だが、このボーナストラックに限ってトラックは迪拉胖なる人物の手によるものだという。迪拉胖、つまりDelafat(デラファット)。蛋堡が所属していたレーベル「顏社(KAO!INC.)」の社長だ。

先に書いたレコード会社ディレクターWさんも、元はと言えば藤井リナの台湾公演に帯同したことから、ヨネちゃん(フォトグラファーの米原康正)を通じて、蛋堡の音楽を知るに至ったという。その後、WさんはJABBERLOOP(日本のクラブ・ジャズ・バンド)を通じて蛋堡と親交を深め、その後でわたしに紹介してくれたわけだ。偶然と人脈が味方した縁、と言えようか。

そんなわけで、わたしが蛋堡の作品に初めて触れたのは2010年夏だったが、その後はトントン拍子に話が進み、その夏のうちに来日した蛋堡&デラファット社長にインタビューすることとなった。通訳を介した北京語と日本語のやりとりが中心だったが、時に英語、台湾語、関西弁を交え、BMI(ボディ・マスではなくビッグ・マック・インデックスの方)まで持ち出して日台の物価比較とCDの適正価格までみんなで考えたりして、何やら意気投合した我々。そのおかげもあって、同じ2010年の12月25日に、わたしは台北の「華山1914文創園区」にあるLegacy Taipeiで行われた蛋堡とJABBERLOOPのジョイント・コンサートを見ることができた。終演後はデラファット社長のおごりでヤギ鍋に興じることになる……。

中文版の維基百科(wikipedia)で「蛋堡 (音樂人)」のページで「個人專輯(ソロ・アルバム)」の欄を見てハッとすること。それは、2009年7月から2013年7月までの4年強で6枚ものアルバム(EPも含む)やライブDVDをリリースした蛋堡が、その後は、KAO!INC.から独立してアルバムを出す2020年2月までの6年半強をアルバム・リリース皆無で過ごしているという事実だ。

その間に客演や曲の提供、プロデュースはもちろんあった。それでも、異様なほどに濃厚だった2009年から2013年までに比べれば、件の6年半強の活動は散発的なものだったと言える。

そんな彼とデビュー1年後に知り合い、その後の3年ほどの充実期とシンクロするように、折に触れて台湾行きを繰り返したわたしは、ずいぶんとラッキーだったのだな、と思う。

蛋堡がその後で発表した作品たちについては、またの機会にするとしよう。