PUZZLEMAN が山の音を取り入れて新しい高みに到達

Feb-22-2023

 

PUZZLEMAN がアルバム「Yang Ming Beats (陽明ビート)」をつくったときの考えは、台北で最も高い七星山を登っているときに聞こえてくるような音をつくり出すことでした。

 

天気の良い日に登れば、起伏は激しいですが難しすぎるということもなく、台湾の首都に無秩序に広がる山々に囲まれた盆地の素晴らしい景色を見ることができます。ここから台北の川を探したり、台北101のようなランドマークを見つけることもできます。夕焼けは壮観です。


七星山は陽明山国家公園の周囲にそびえ立っています。陽明山は大屯火山群を生んだ約3百万年前の火山噴火のときにできました。そのとき同時に、溶岩マグマ溜り、沸騰する硫黄の湖、そして亜硫酸ガスを噴出する噴気孔ができました。

 

陽明山の気候は微気候です。つまり台北の気候は熱帯的ですが、陽明山の植物や天気はそれらと異なるということです。秋には楓の木の葉が黄色や紅に色づき、ススキの赤い花が咲きます。また微気候であるということは、七星山に登るときはきちんと日を選ぶ必要があるということです。街が青空で晴れていても、何の前触れもなく雲が下りてきたり、視界が0で何も見えなかったり、激しい雨が降ることもあります。

 

また長い時間歩いたあと休憩するのに最適な温泉もたくさんあります。荒々しい天気、昔からの登山道、破滅の縁に立っている感覚、そして自然の豊かさの中で味わうリラックスした気分、陽明山はこれらが混ざった場所であり、ビートやスタイルがミックスされたアルバム「Yang Ming Beats ( 陽明ビート )」のインスピレーションとなっています。このアルバムでは、たとえば蛙の鳴き声、水が湧き出る音、風の音、その他にも陽明山で聞こえる音をサンプリングして、キラキラ光るような雰囲気をつくっています。アミ族歌手である Panai の華やかな声を伴い、まるで伝統音楽のように感じられる部分もあります。

ウォークマンではなく「クライムマン」


このアルバムには14曲が収録されていて時間は62分です。ゆったりとした上り坂を登る時間を与えてくれます。PUZZLEMAN はこのアルバムを宣伝するにあたり、七星山が高さ1,120メートルの山であり、頂上に電波塔もないため、その高さではリスナーたちがアルバムをストリーミングできないだろうと考えました。

 

そこで彼は、昔のやり方に戻って「クライムマン」( ウォークマンではなく ) で使えるカセットテープをつくって、アルバム発売記念パーティーに参加していたインフルエンサーたち全員に配りました。それはそれとして、私は十一月初旬に自分で七星山に登ってみました。頂上付近でのみアルバムのストリーミングは途切れましたが、山を登りきったときには再びしっかり再生できていました。つまり、万事問題ありませんでした。

 

思いやりのある紳士 PUZZLEMAN は、小油坑に時間通りに現れます。風で雨が吹き上がり、駐車場にある水平シートの中にまで風が吹き込みます。そこは約40分間の七星山のハイキングが始まる場所です。七星山と周囲の山々は、まるで中国の伝統的な水墨画のようです。

 

彼は天気にも備えて、台中のブランドである Filter017 の紫のニット帽子、黒いカーゴパンツ、オフホワイトのトレーニングシューズという都会的であり明らかに歩きやすい格好をしています。優しげな透明のアクリル製の眼鏡をかけた姿は少しフクロウのように見えます。

 

彼の名前は Aka Xiao Xin (小鑫) Ah Long (阿隆)ですが、短いバージョンの出生名は Cai Long-xin (蔡隆鑫) です。30代で人懐こい人です。鬱陶しい天候にもかかわらず、彼は土砂降りの雨の中で写真撮影のためにポーズを求められても不服など言いません。それどころか、彼はアルバムの中で使用したオレンジと白のアサラトも用意してくれていました。彼はまるで台湾の有力な広報担当者のようです。

 

アサラトは元々は西アフリカのもので、2つの瓢箪を紐でつなげた楽器です。このモダンな「台湾製」の ABS スチール・プラスチックとナイロンの紐を使ったアサラトは、見た目が70年代のクラッカーと呼ばれたおもちゃのようです。クラッカーは最終的に子どもたちにとって非常に危険なおもちゃだとされて、「危険な機械」に分類されて禁止されました。七星山の風下側に立ちパラパラと降る雨で眼鏡を濡らしながらも、PUZZLEMAN はすぐさま堂々と、アサラトが奏でる打楽器のリズムを披露してくれます。

 

インターネットで少し検索してみると、彼が実践的なアサラトのレッスンを提供している YouTuber であることがわかります。彼はブランド KAO!INC で自分の名前でアサラトを販売しています。また陽明山を登る人たちのために「Yang Ming Beats (陽明ビート)」のカセットテープも一緒に販売しています。その広告には次のように書かれています。「陽明山の火山を眺めながら唯一無二の竹林を歩く PUZZLEMAN の、その自然なビートに身を任せてみましょう。ここに生まれた山々と森が共につくり出す、自然の音を感じてください! 」また色がシアングリーンの、PUZZLEMAN のホテルキーホルダーも250新台湾ドルで販売されています。

 

「マスター・オブ・パペット (MASTER OF PUPPETS)」

 

PUZZLEMAN は彼が育った台中で12才のときに音楽のレッスンを受け始めました。それから数年間独学でギターを覚えました。独学で音楽を覚えたミュージシャンである彼は、決して学ぶことを止めません。彼は最初に恋に落ちた音楽がメタリカの「マスター・オブ・パペット (MASTER OF PUPPETS)」だったことを思い起こします。この曲はスラッシュ・メタルであり、刺激を受けた彼は2年間独学でギターを覚えました。そして最終的に、この曲はあるパンクバンドのオープニング曲になりました。

 

しばらくは上手くいきましたが、そのパンクバンドがオーストラリアで演奏することになり、PUZZLEMAN は文字通りチャンスを逃してしまいました。彼が今そのときの話をする様子は、どういうわけか仲間のバンドメンバーたちが彼にオーストラリア行きを伝え忘れて、彼らが去った後に別の友人たちからその話を知らされた、という感じです。振り返ってみると、彼はそれが運命だったと思っていたようです。「良い勉強になったと、ソロでやる良いきっかけだったと思っています。今、私たちはみんな上手くやっています。」

 

PUZZLEMAN は、地域の条件が難しいながらも、努力して音楽のキャリアを築き上げています。台湾を去って中国に行ったり、あるいはマンドポップ ( マンダリンで歌うポップ音楽 ) で数曲ヒットをだして有名になってから忙しくテレビに出演したり、儲けの良い旧正月のイベントに出たり、ときにはカムバックコンサートに登場するなど有名人としての軌道に乗らない限りは、台湾でミュージシャンとして生計を立てるにはかなり熱心に頑張らなくてはなりません。

 

私たちは、台湾は裕福で比較的人口も多いのに、なぜミュージシャンで食べていくのがこれほど難しいのか話し合います。無料のコンサートが多すぎることや、アートが高く評価されていないこと、音楽業界のプロフェッショナル化が必要とされていることなどが考えられます。状況は良くなっていますが、しかし成功できる人はほとんどいないという現実は残ったままで、ごく限られた人以外にとっては、お金を稼げるキャリアではありません。

 

PUZZLEMAN をこの事実をあまり気にしていません。なぜなら、彼は自分の起業家としてのスキルを時間をかけて磨き上げ、かつ革新的であり、ソーシャルメディアで賢く自分のプロモーションを行い、そしてとにかく音楽への愛をもって音楽活動をしているからです。これは演奏しているときの彼を見れば一目瞭然です。それだけではなく、今日の彼のいる場所にたどり着くまでの道のりは簡単なものではありませんでした。そのため、彼は自分が今もっているものに感謝しているのです。「僕は自分の人生を愛しています。僕の人生は素晴らしい瞬間で満ちています」

 

バンドを追い出されて


バンドを追い出された後、PUZZLEMAN は先へと進みました。中国に引っ越しただけでなく、自身の音楽スタイルも変わりました。彼は広西チワン族自治区の陽朔県に住み、北京にも2年間暮らしました。彼はそこでアフリカン・ミュージック、特にレゲエに影響を受けました。彼は台湾に戻ったときに金門県で兵役を務めて、その後に台北で運試しをしようと決意しました。

 

2010年頃、音楽シーンはインディー ( スポンサーなどから資金を得ずに独立して音楽活動をすること ) でDIY (ドゥーイットユアセルフ ) でした。自分自身を支えていくため、彼はスニーカーを売ったり、物流会社で商品配送をするなど、将来性のない仕事を立て続けに行いました。1組の穴だらけの靴しか買えずにいつも足が濡れていたことを、彼は思い出します。

 


他の人たちにとっては死ぬほど退屈なことも、PUZZLEMAN にとってはさらなる自己学習と向上の機会であることが判明しました。何年もかけて、彼はギター、ピアノ、オルガン、ドラム、アサラト、そして DJ のやり方を自分で学んできました。そのとき彼は新しい靴を買うために貯めていたお金を使って、靴の代わりに Akai の MPC 1000 ビート・サンプラーを購入しました。これは音楽をつくるもので、これを使えばアーティストたちはビートやサンプルをつくることができます。また歌をつくるときにも役立ちます。

 

「僕は毎日4時間から8時間学びました。そして8時間働いて、8時間寝ていました。それが僕の生活でした。そしてやっと報われたのです」と、彼は自分の考えを話しました。「時間をかけて、僕はあらゆることを自分でやれるようになりました。そして音楽制作に足を踏み入れました。今は足が濡れていなくて嬉しいです」

 

彼の初めてのソロコンサートは、2012年に台北の西門町で行われました。ようやく彼は、2017年にリリースした9曲で構成される初のアルバム「Organic Melodies」をつくるための十分な素材を手に入れたのでした。未加工の部分もあれば、ギターで盛り上げるヒップホップもあり、それだけでなく、今や彼のトレードマークとなったキーボードとフィンガードラムも含まれていました。

 

解離


フィンガードラムは本来、グルーブボックス上でサンプルをつくります。そのコンソールは持ち運び可能で、ミュージシャンや DJ がステージパフォーマンスの際に使うこともあります。そうすることで複雑な音をつくることができ、これをコントローラリズムと呼ぶ人たちもいます。コントローラリズムとは、デジタル音のミキシング、スクラッチング、そして調節を行ったり、視覚効果までも利用することです。ビーストマスターである J Dilla はスタジオでアカイ MPC を使って新しい音楽制作のスタイルをつくり、ヒップホップ、ジャズ、ネオソウルに影響を与えました。

 

PUZZLEMAN は、彼が日本のデュオである Hifana に影響を受けてフィンガードラムとアサラトを彼の音楽やパフォーマンスに組み込んだと話します。一方で Vogue Taiwan は彼のことを「台湾で最も有名なフィンガードラマー」であると称しています。2021年にリリースした彼のアルバム「Please Use Before Sleep」については、Vogue Taiwan は彼の新しい音楽性を「ローファイ・ヒップホップ ( lofi hip hop )」であると表現しました。その一方で PUZZLEMAN 自身は自分の音楽性を「チルホップ ( chillhop )」と呼んでいます。

 

元々そのアルバムは人生と死がテーマでしたが、COVID 以降に変化したと彼は話します。彼は自分の母親が歌った葬歌のサンプリングも行い、ある曲では伝統的な中国の唐鼓も叩いていました。しかし彼が「眠りと覚醒の狭間、ローファイとホワイトノイズの狭間」をテーマにしたアルバムをつくると決心したとき、それはお蔵入りとなりました。「僕はコンサートをたくさん開いていましたし、エネルギーに満ちていました。だからロックダウンがきっかけで、元のテーマのアルバムではなく、このアルバムをつくろうと決めたのです」

 

1年後にそのエネルギーは「Yang Ming Beats ( 陽明ビート )」に注がれ、台湾が動き出した今、PUZZLEMAN は素晴らしい場所に立っているようです。国内ツアーの計画もあり、もしかしたら日本でのコンサートもあるかもしれません。彼の創造力は絶好調です。

 

「次のアルバムでは、僕がもっているおもちゃを全部使います。もっとハードウェアも使うし、もっとアナログな方法も使って、より大きなサウンドをつくります」

 

オリジナル文章:PUZZLEMAN Scales New Heights with Mountain Sounds, by Jules Quartly